妄言やらくがき等

2020年12月6日の投稿(時系列順)1件]

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バウワウの個人的な好きシーン(今言うことか…?)

バウワウの戌井はギャルで可愛いけどちょくちょく温度感が妙に冷たいときがある 狗木はずっと胡散臭くて面白い 葛原さんはぶれない…カッコイイから…



バウワウってまあ~~ジャンルとして対決ものではあるんだろうけど戌井ー狗木の間に並行な対応関係があるというよりもむしろその非対称性にフォーカスする話だよなと思ってて、さらに葛原さんという存在がいることで構造が多層化してより味わいの深い話になっている…ように思う。
構造のオタクなのですぐ構造の話を始めるが…
そもそもバウワウはメイン男三人の魂のステージが全然違ってて、狗木には見えてなくて戌井には見えてるものがあるし、戌井にはできなかったことで葛原さんにはできることがある。戌井と狗木の間に並行な対応関係があるように見えるのは「大事な人を殺してしまった(=ヒーローになれなかった)」という共通項と、そこから生まれる互いへの強烈なシンパシーであって、その共通項は葛原さん(=作中においての英雄ポジ)と比較することで可視化するようにも思えるんだけど、同時に葛原さんがいることで二人の決定的な差異もまた明らかになるとこがエモだと思うのね。お前にはまだ可能性がある、後ろにいるみたいな奴がいる限りは、なので…。戌井には間に合わなかったことで、狗木には間に合うことも確かにあったんだよ。狗木は愚かなのでそのことに気づけませんでしたが…
だからバウワウはヒーローに憧れた男がヒーローに出会う話でもあるよねというのと、それによって戌井と狗木の非対称性を描き切ってるところが最高なんだよな。(似てるところが強調されればされるほど逆に似てない部分って明らかになるじゃんというあれ)あとなんつ~か葛原さんは別にヒーローになろうとしたわけでもなんでもなくむしろ自分が英雄になれるわけがないことを知っている人、という印象だな…多分だけど英雄になりたいと願っている時点で英雄にはなり得ないというか、どこまで行ってもそれは「ヒーロー」のパロディなのでは?という気がするね。大体このへんで戌井隼人への感情が限界になってくるのでこの話はやめますが…。

結局わからねえな…彼らの言うヒーローっていうのが何なのかさ。でもとりあえずバウワウを読むたびに物語の構造及びキャラクターの対応関係がうま~い!と大絶賛してしまうし、そもそも越佐大橋シリーズは成田せんせ~の他シリーズと比べると派手さはないなと思ってるんだけどその分キャラクターの少なさとか舞台の物理的な狭さによってそういう対応関係は際立ってる気がするのでそこが面白いところなんじゃないかな~と思う 知らんけど

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